まあ、あのー一応考えて書いたんで。

mixiのほうと同じ文章になりますが、そして長くなりますが、コピペします。

考えます。以下は僕の独断です。別に正しいとか正しくないとかそういう次元のものではない。っていうか世の中には正しい事と正しくないことの区別なんて存在し得ないと思います。正しい事、正しくない事を決めてしまわねば(最初は宗教によって?よくやったもんだ宣教師。)秩序のある「社会」が存在できないから、道徳というようなものが生まれたんだと思います。道徳というものの存在も社会を作るうえでの一つのモデルに過ぎないと思いますが。これもそのうち書くか。

じゃあまず、ツッコミの存在意義です。

何でもいいから、話の流れがあります。

ボケが流れから脱線させます。

ツッコミがそれをもとの流れに戻します。

多分これが基本だと思うんですけど。

客はボケを見て、心の中で少なからずツッコミをいれるとおもうんですよ。僕はそうです。

そんで、ツッコミがそれにつっこんで客は安心して続きが見れます。

ボケっぱなしっていうのは、話が脱線しっぱなし、なんの秩序もそこには存在しなくなります。客は自分の中である程度秩序を作って話を聞いてますので、それを秩序を壊されるという形で裏切られる。笑えません。

ちゃんとツッコミが秩序を作らなければならないんです。

漫才においては秩序をコントロールする存在。これがツッコミの存在意義だと思います。

ボケは爆弾みたいな存在です。衝撃波は球の形に広がっていく。それをツッコミがどううまく指向性爆弾にするか。

爆発力の大きさがボケの力量だと思ってます。

どれだけ大きな爆発をコントロールできるかがツッコミの力量だと思ってます。


ハイ次、秩序をコントロールする存在って書きましたが、これはどういうことなのか。

さっきもちょっと書きましたが、客は頭の中である程度秩序を立てて聞いてます。

秩序の立て方はそれこそ人それぞれです。そんで、その秩序から大幅にはずれると、(どのくらいが「大幅」かも人それぞれだと思いますが)笑えなくなります。

そこで、ツッコミが考えなければならないのは、客がどんな客かってことです。

ツッコミかたによって、笑う客、笑わない客は変わってくると思うんですね。ボケの爆発をどこに向けるかってことで。

それを察知する能力が必要になると思うんです。

そんなもん舞台上でそれを察知してツッコミの方向性を変えるなんてことは無茶だといえるほど難しいと思うんですけど。
でも少なくとも、こういうことは言ってはいかんということだけは押さえておきたいです。

それともう一つ、舞台上では、ツッコミは客の誰よりも早くボケのおかしいところを分析し、ちゃんと元の流れに戻してやる必要があります。

台本がある場合は別ですけど。

これもツッコミにとっては重要な能力だと思います。

テンポっていうのも大事だと思います。客がツッコミきった後では遅いのです。

そのテンポの範囲内、つまり、客がボケに気づいてから心の中で突っ込み終わるまでの時間の中でボケに対してわかりやすい言葉で、ツッコム。これができなければツッコミとしては使えないでしょう。

日常生活の中で、何かおかしなものを見つけては、それをどう表現して人に伝えれば面白くなるか、どう言いかえると面白くなるか、それを常に考えている、というよりはオートでそれをしている、というのが「ツッコミの視点」と自己紹介のところに書いてあるものです。

はい、俺の考えるツッコミの理想論でした。ここまではそうやと話をする前までの俺の中で「ツッコミについて」というタイトルで考えてたことでした。


で、この次の日の文章は明日貼り付けます。