東北旅行一日目
(注意)
もう半年前の話なので、一部が美化され、一部が作られています。その辺ご了承ください。
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起床。
確か僕たちは朝7時ぐらい上野発の電車にのらなければならないはずだ。
間に合う時間に起きれた。
なぜだ。お約束として11時ぐらい起床とかそんな感じじゃないのか俺たちって。
まあよい。上野までいこう。
当然タクシーで。
運「どちらまで?」
俺ら「あ、上野駅までお願いします。」
運「えーとそれってどうやっていけばいいですかね、何々通りを行って何々で曲がるかそれとも何々どおりまでいって何々で曲がって何々どおりにでるか」
俺ら「わからないんでとりあえず行ってください。」
運「いやでもね、何々通りだと」
お前やかましいねん!!
こっちは道わからん言ってんねん。
お前らは曲がりなりにもプロよ。
任せるっていってるんやからお前の思う最高の道で最高の走りで俺らを上野駅まで運んだらそれでええんちゃうんかい。
それで俺らも文句は言わんがな。
という会話を富岡君と二人で運転手に気づかれないようにしてたら上野到着。
ここから鈍行の旅が始まる。
一日目は、上野→福島→仙台??
あれ、なんかぜんぜん違う気がする。
いや、ほら、資料とかなんもなく記憶だけで書いてるから。
そのうち直すから。
すいません。
あ、しかもなんかだるくなってきたんでまた続きはそのうち。
正直一日目の前半部分はこの運転手のくだりしか鮮明に覚えてない。
予算
「日本海に面してる線路を走る電車に乗りながら、おいしい駅弁を食おう。きっと素敵な思い出になる。」
という思いつきや、
「あかん、もう奥羽山脈で修行するしかない。」
というわけのわからない思いつきから企画された今回の東北旅行。
あれ(台湾旅行)からすでに3年が経過している。
富岡にいたっては関西にある某大学の卒業式に出席するような時期に来ている。俺はゴニョゴニョ。
僕たちは大人になったはず。前みたいな無茶な旅行にはもうならないだろう。
それはそれで、少し寂しい気がする。
東北旅行前日の夜。奴は関西から東京に来て俺の家にきていた。
俺「あれ、お前卒業式は?」
富「ん、明日。」
んっ?
俺「明日東北行くよな?」
富「おう。」
俺「あれ、卒業式的なものは…?」
富「行かん。行かんって申告してないないけど。」
そのとき、二刀流の構えをする宮元武蔵に対峙したときの宍戸梅軒の気持ちに僕はなった。
でかい…(態度が)
まあいいや。こいつが怒られようが知ったこっちゃない。俺が知りたいのは旅行の予定だ。
前電話したときに完璧にこいつが時刻表で調べてたから時間はこいつに任せていれば大丈夫だろう。
現在午後11時、明日は何時起きだろう。
俺「明日どこまでいくんやっけ?」
富「どこやっけ。」
俺「ん、明日上野何時?」
富「知らん。」
こいつ、、、
まあいいや、何とかなる。そういえば予算はいくらぐらいになるかな。
電車賃が18切符を使うとして11500、3泊4日で宿泊費が20000ぐらいでメシが一日平均3000〜4000だとして
合計45000
財布には40000
あ、足りない。
節約しまくるしかないな。いざとなれば富岡に借りればいいし。
俺「お前今手持ちいくら?」
富「んー一万ぐらい。」
俺「明日上野まで何でいくん?」
富「タクシーに決まってるやろ。」
不安すぎる。果たして生きて帰ってこれるんだろうか。
富「なあ、ウイイレやらん?」
やかましいわ。
俺たちには旅が必要なんちゃうかな。
長かった三年生の冬学期も明日からのテスト一週間を残すのみとなりました。
いつもどおり、テスト前、テスト中は目が血走り、少しの事でイライラし、体中のすべてのホルモンのバランスがおかしくなったんちゃうかと思うほどの毎日かと思いきや、意外と普通です。
火曜から金曜までの試験は一応勉強を終え、後は明日の試験勉強を残すのみとなりました。
僕は僕でしかなく、僕という存在、認識の流れは時間で微分可能で、いきなりどっかに飛んだりできない(ひらめきは、どっかに飛んだとは言わないと思う。)という一種のあきらめから来る心の落ち着き、または冷めた心を多分この一年で手に入れたのではないかと思います。
浮き足立って焦った状態で急いだとしても、それは腰を据えてどっしり構えてすすんでいる僕の「ghost」(マリオカート的な。)には負けると。
いや、勝つ負けるとかそんなんじゃなくて…別にghostには置いて行かれてもそれはghostでしかなくて…まあいいや。
旅ですよ。
僕たちは旅をしなければいけない。
と思い至るまでに色々ありました。
いや、無いか。思いつきや思いつき。
本を読んで、想像力を働かせることもあるし、大人が「これだけは本当に思う」と前置きをして喋ることを聞いて内容を吟味したりバックグラウンドを探ったりする。
「世界」を「自分の認識」とするならば、それはぼくにとっては実際に歩き回る「旅」と同じ意味になるけれど、それは五感の内の聴覚を使っての旅で、まだ嗅覚とか触覚とか視覚を使う旅を僕はそんなにしていない。
なぜそれをしたいかというと、、理由なんて無いけど、ただしてみたいだけやけど、無理矢理理由をつけると、旅をしてない状態で死ぬと死ぬ瞬間に後悔するとおもうから。それは醜い。
「なんかもっと見える世界があるんちゃうか」と思ってしまった時点で、旅に出ざるを得なくなった感がある。
そんなん思わんかったらよかったのに。
ん?満足と幸せは同義語ではない?
こんだけ言ってるけど、その一方では生きる事は、「お元気ですか、ちゃんとメシ食ってますか。」
この二言に収束されると思うようになった。
というわけでまずは東北や。
富岡「国内の旅行って旅とは言わんと思うねん。」
そのうち東北旅行紀書きます。
ひらてうち
電車内でふざけてた高校生に対してそれをどついた警官が逮捕されたあげく、「大変申し訳ないことをした」と言っているというのがニュースで流れていた。
…敢えて言いたいのだけれど、子供が悪いことをしたときには殴るのは当たり前だと思う。
…「人を殴る」というファンクションにただ「罰する」というラベルを貼り付けてる気がする。
それはあまりにもヒステリックじゃないか。そう思わん?
いや、「罪」に対して「罰」のラベリングは、、それが誰に対しても機械的に行われるならば…
ていうか「責任」もラベルにしてしまった制度が…
まあいいや。
正義と流行は同じだ。どちらも誰かが作ってるんた。作り方も似ている…
あーもうどうでもいいや、藤川球児様かっこよすぎ。
あ、違うどうでもよくない。
なんかよくわからないけど殴られた。相手が悪い。酔ってたし。相手だって自分に対して大変申し訳ないと言っている。
とその高校生は教育されてしまったなら、こいつが一番の問題だ。
……
最近は考えの末に沈黙が多い。
詰めと勢いと表現
勢いだけなのはなんか嫌いだ。見栄えはよいしかっこもいい気がするが、熟考した跡が見られないと(自分は熟考したつもりで、その出発点に近いことが勢い良く表現されていればいるほど)がっかりする。
だからといって、考えてるが表現しないのは、他から見ると考えてないのと同じになる。
考えた結果だけ、エッセンスだと思われる言葉だけを表現しても、とらえられ方が大分かわってくる。
考えをつめて、それをわかりやすく勢い良く伝わりやすいように表現する。
そうしなきゃならん世界にいる。気に入らんな。
でも、そうしなきゃ、時にはもっと気に入らない他人の意見に従わなきゃならないことになる。
だるい世界だ。
…なんで気に入らんのだろう?
気に入らんけど勢いも大事だ…
あとははっきり書くのもアレなんでこのへんでおやすみなさい。
心に花を。
いやー一回聞くだけではまったですよ。
ウルフルズで「情熱A Go-Go」
ガマンしないで 遠慮しないで
変に媚びないでいいぜ 悔しくても
好きなことやれ 心に花を
頑張らないで ふてくされないで
音をあげないで 裸のまま
本能のまま 心に風を
お元気ですか
ちゃんとメシ食ってますか
とどのつまり
生きるっちゅうのはそんなもんで
情熱 A Go-Go
飛んでゆけ堂々と
波に乗れ 夢にのれ 腹をくくれ
情熱 A Go-Go
そして気分は上々
ほと走れ 夢走れ 我を忘れ
ゆけどもゆけ
やばい。久しぶりに心の琴線に触れた。
最近ストレートな言葉が心に響く。
ベタだ。ベタに回帰した。なんか色々。
なんていうか、色々ごちゃごちゃ考えるが、なんだかんだ言って源泉はここだ。
波に乗れ、夢に乗れ、腹をくくれ。
いい言葉だ。