俺たちには旅が必要なんちゃうかな。

長かった三年生の冬学期も明日からのテスト一週間を残すのみとなりました。

いつもどおり、テスト前、テスト中は目が血走り、少しの事でイライラし、体中のすべてのホルモンのバランスがおかしくなったんちゃうかと思うほどの毎日かと思いきや、意外と普通です。

火曜から金曜までの試験は一応勉強を終え、後は明日の試験勉強を残すのみとなりました。


僕は僕でしかなく、僕という存在、認識の流れは時間で微分可能で、いきなりどっかに飛んだりできない(ひらめきは、どっかに飛んだとは言わないと思う。)という一種のあきらめから来る心の落ち着き、または冷めた心を多分この一年で手に入れたのではないかと思います。

浮き足立って焦った状態で急いだとしても、それは腰を据えてどっしり構えてすすんでいる僕の「ghost」(マリオカート的な。)には負けると。

いや、勝つ負けるとかそんなんじゃなくて…別にghostには置いて行かれてもそれはghostでしかなくて…まあいいや。




旅ですよ。


僕たちは旅をしなければいけない。


と思い至るまでに色々ありました。


いや、無いか。思いつきや思いつき。




本を読んで、想像力を働かせることもあるし、大人が「これだけは本当に思う」と前置きをして喋ることを聞いて内容を吟味したりバックグラウンドを探ったりする。


「世界」を「自分の認識」とするならば、それはぼくにとっては実際に歩き回る「旅」と同じ意味になるけれど、それは五感の内の聴覚を使っての旅で、まだ嗅覚とか触覚とか視覚を使う旅を僕はそんなにしていない。




なぜそれをしたいかというと、、理由なんて無いけど、ただしてみたいだけやけど、無理矢理理由をつけると、旅をしてない状態で死ぬと死ぬ瞬間に後悔するとおもうから。それは醜い。



「なんかもっと見える世界があるんちゃうか」と思ってしまった時点で、旅に出ざるを得なくなった感がある。



そんなん思わんかったらよかったのに。



ん?満足と幸せは同義語ではない?




こんだけ言ってるけど、その一方では生きる事は、「お元気ですか、ちゃんとメシ食ってますか。」



この二言に収束されると思うようになった。








というわけでまずは東北や。



富岡「国内の旅行って旅とは言わんと思うねん。」


そのうち東北旅行紀書きます。