久々なんですが

人に見せる文章じゃないんですw

でもここに書こうと思ったのは、手書きよりも簡単に、そして早く編集できるということ、コンピューターの端末さえあればいつでも見れるということ、などなど、多くの利点があると思うからです。最近ブログに対する考えがかわってきました。

シュレーディンガーの子猫たち」

今読んでいる本。

俺は何か、この世界は何か、何からできているのか、そのような疑問を常々持ち続けてきた。(別に自分でそれを解明したいという気持ちは無くて、誰かが教えてくれるのを待っていた。)

中学、高校の時に化学にものすごく惹かれたのも、それを少しでも説明できる術だと思ったからだ。

大学に入って、今まで聞いていたものよりさらにミクロの世界(原子とか電子の世界)の出来事を記述する量子力学に出会って、それが実際起こってしまっているということにも度肝を抜かれた。

問題は、数式を読み解くだけの数学力(むしろ論理力?)が俺になかったことだった。その壁にぶち当たり、もやは依然としてもやのままだった。(そこで数学を頑張るような性格はしていない。多少はやったけどさ。)

生協の本屋で、授業の教科書を探しているときに偶然手に取った本。シュレーディンガーの猫っていう話はどっかで聞いた事があったので興味半分で読んでみた。

式、無い。けど、何となくわかる。楽しい。

まだ本の最初の部分だが、例えば「一個」の電子が箱の中に入っているとする。それは粒子では無く、確率波の重ね合わせとして記述されているらしい。(それが入っていると意識してる時点で観測されてるんじゃないかとも思うが)その箱の中の電子は人間が「観測する」という行為によって初めて確率波の波束は収縮して、粒子として確認できるようになる、らしい。



実際人間は「観測する」という行為以外では物事を観測することはできないのだから、観測していないときには何が起こっているのかはわからない。そりゃそうか。

ん、だからといって、観測するまでは、「状態の重ね合わせ」としてしか記述できないっていうのは…まあ、そうか。

でもそれは箱の外の視点なのだから箱の内側の視点だとまた別なんじゃないん?わからん。とにかく、全部読んでもないのにこんなこと書いていいのかという不安がある。消そうかな。でもここまで考えたから残しておきたいな。

とにかく、この本は不思議な現象がいっぱい書いてあって(単なるフィクションではないみたい。ノンフィクションかどうかは疑わしいけどそこは信じる事にする。自分で確認するのめんどいから。)おもろいです。夏にこれを読み込む事にしました。

ただ、サブタイトルの「実在の探求」っていうのが少し気になります。読み終わった後変な性格になってない事を祈る。

意識は変わってきた、といっても、これを書くのは自己満足だというスタンスはかわってない。


シュレーディンガーの子猫たち―実在の探究

シュレーディンガーの子猫たち―実在の探究