アイデンティティ

僕を形作るものであります。

形作るといっても、人が見た自分と、自分で考えている自分とは、非常にかけ離れているように感じる。

人からみた自分というのは、つまり人が俺と接していて俺の言動を聞き、俺の行動を見、俺のあるものに対する反応を見、それを俺が接した人の価値基準、判断基準をもって判断されるもので、自分からみた自分というのは、「セカイの中心」ですね。

当然その2つが一致するわけもなく、人はそのズレの中で日々苦しむのです。

余談はさておき、僕の考えるアイデンティティは、(セカイの中心としてのアイデンティティです。)色んなものの複合体、だと思います。

例えば、今CDTVから流れてくる曲を聞いていい曲だとか、べつになんも感じない曲だとか、お茶をやってることとか、音楽をやっていることとか、格闘技もやりたいとか、他にも色々色色なことの複合体として自分がある、ような気がする。それは今まで俺が見てきた、経験してきたことの蓄積である。とも思う。

つまり、俺を俺たらしめるものは、今まで俺が何を経験してきたか、そしてどう行動してきたか、の中で僕の脳内に残っているもの(意識的にも無意識的にも)ではないかと思います。だからアイデンティティは時々刻々とアップデートされていきます。

ふう、何が没個性だ。

ここまで書いて、「お前のアイデンティティは何?」って聞かれたときに、どう答えるか。

アイデンティティってどういう意味でいってんの?」

かな。

お前は自分自身を分析してどう思うねんっていわれたら、たとえるならパソコンに入ってるプログラムを動画も音楽も画像もOSも含めて全部見た上でそれを端的にまとめろっていうことなんで到底答えられません。メンドクサイ。

お前は何が自慢できんの?これといった特技はなに?っていう意味で聞かれてるんやったら(これが今たまに言われる「個性」とか「アイデンティティ」なんやと思うんやけど)

「いや、無い。」

としか言いようが無い。無いもんは無い。欲しいけど。


お前のキャラはなんやって聞かれると…

「特に自分にキャラ設定してない」

かなぁ。

じゃあお前はなんやねんって聞かれるなこれじゃ。

そんなもん一言で表されてたまるかってのが本音ですね。

こんな感じです。なんかツメが甘い気がする。