なんか重い話ばっかり

だったんで、みくしーにて書いた面白いといわれた日記でもはりつけます。

2007年2月5日の日記

マテ工の会議室にてお勉強してました。なんか図書館人いっぱいいるんだもの。

いつも座ってる場所に人が座ってたんだもの。

すごいですねテスト期間。みんな目がガチです。


その点このマテリアルなんとか会議室は神ですね。全く人がいない。マテ工の教室のすぐ裏にあるあれです。よく試験前の昼休みに過去問といたあそこです。3つあるうちの一番奥です。全く人の気配とかないとこです。



ちょっとローソンにチョコでも買いにいこうと思ってドアノブをひねる。


ボリン



えっ






ドアノブが…と、取れた。




え、どうすんのこれ。出れない。


久しぶりに戦慄を覚える。前実験に寝坊して遅刻確定したとき以来の戦慄だ。


ちょっと待て。死因がドアノブが取れた事による餓死とか絶対にいややぞ。どうすんねんこれ。もっとカッコいい死に方を…いや違う。出るぞここをどうにか。


とりあえず一枚目の写真を取る。

二枚目も取る。


うん。非日常的。

とりあえず落ち着いた。

ドアの上になぜかガラスとかなんにもない窓あるからホンマにヤバい場合はそこから出るとしよう。


え、待って?なんでそもそもドアノブ取れてんの?お前あらゆる製品の中でもかなり取れてはいけない部類の物やんけ。何?なんかの罠?



うーん。まあ良い機会だ。ドアノブがどうなってんのかじっくり観察。

理解。


なんだ、ネジになってる部分が取れただけじゃないか。


こんなことでスリル味あわせやがって。


興味が無くなったので、2枚目の写真みたいにして勉強してたら、建物の鍵を閉めに来た警備員に見つかりました。(6時でしまるらしい。)

え?お前一体何してんの?ていうかそれドアノブ?みたいな目で見られましたがどうにか「ドアノブが取れて、ここから一生出れないんじゃないかという不安を抱えながら、もし警備員が来なかったら窓ガラスをぶち破ってでも外に出ようと固く決心した一学生」を装う事で事なきを得ました。


いやーしかしビビった。

どうありたいのか

とか、将来何したいのかとか、最近よくかんがえる。



間違いないのは、俺は相当ラッキーな人間なんだろうと思う。


それは間違いない。


ラッキーな出会いが、数字の5さえうまく書けなかった俺をここまでにしてくれた。


俺がどんな人になりたいか、なんて願望は心のどこかでおぼろげながら形を作っている。言葉にはできない。その瞬間に定義され、達成すべき目標になり、一人歩きを始めた挙げ句俺から逃げて行く気がするからだ。まだ、きっと、言葉にすべき時ではない。


俺が何をしたいかなんていう妄想は四六時中だ。



でもなんとなく今の時点で確信してることは

俺が22年間でどこからか拾い集めてきてついに形をなしたのか、そう考えるように、聡明でかつ単純な愛すべき両親の教育によって植え付けられたのかしらんが(そんなことは最早どちらでも良い)


俺は恩によって形づくられている。



気がする。それに、その恩を誰かに返す、渡すまでは死ねない、気がする。


それを忘れてしまったならば、その時の俺がどれほど人から称賛されていようが、一目置かれていようが、それは今の俺的には虚栄だ。からっぽだ。貴様の懐には何も無い。


さてどうやって恩を返せる位置まで行くかねー。

放置してたよ。

という訳でなんか書きます。書きます。


基本的には最近みくしーに書いてるんですが、誰かに何か物を伝えたいときはこっちなのかなあと思います。


でも特に伝えること無いんですけどね。


最近はといいますと、なんて言うか受験生みたいな生活を送ってます。


ていうか受験生です。


ね、毎日毎日ちょっと前にやったはずの範囲の問題を見て、解けず、そのたびに自分を否定されてるように感じ、その範囲を見て、問題やり直して、「てかさっき答え見たんやから解けて当然やんけ!」って思って、次の問題見て、解けなくて…



の無限ループです。やっほう楽しい!




楽しないわ!


なんかおもろいことないかなーと思いながら毎日自転車こいでせっせとタックや図書館に行ってます。



鬼のように学ぶとは言ったものの、ちょっとしんどくなってきました。阿修羅のように学びたいと思います。



チャリこいでると、思いっきり足を振りかぶっているおばあちゃんを見ました。


おばあちゃんが振りかぶっている!?と思ってそっちの方を振り返ると、孫とサッカーしてました。


孫に何を伝えたいのかわかりませんが、明らかに一撃一撃に魂を込めて孫に向けてシュートをぶちかましていました。


あの孫は強くなるなあと思いました。


俺も孫に向けて容赦なく本気でボールを投げるおじいちゃんになりたいです。

背景変えてはみたものの。

ていうか新年初日記ですか?ですね。いや、前の日記は1月1日の午前一時ぐらいに書いてたから正確にはあぁもうめんどい。


あけましておめでとうございます。


背景を変えて、また今年もガンバっていきたいなと思ってるんですけどもね。


しかしだ、正直、書く事が無い。

いや、違う。書いて面白くなるようなことが起こらない。


だって毎日引きこもって勉強…うん、勉強してるんだもの。


とりあえず、お隣さんと冷戦中です。壁が薄いから音が聞こえるらしい。


そっちもこっちの音聞いてうるさがってるだろうがこっちもうるさがっとんのじゃい!


というわけでそのうちなんかやらかしてやろうと思います。

夢。

さて、この一年間について考えます。

まず、この一年。


成長したと思う。

しかし、成長したといってもそれは予想できる範囲内での成長だと思う。


思いもかけない成長はしていない。

なぜか。


ぼろくそになっていないからだ。

もっともっと自分を追い込まなければ、おもいがけない成長は期待できない。

少なくとも、自分に甘いことをしていたら、何も成長できない。

思いがけない成長をしないと大きくはなれん。

というわけで来年の抱負。

ボロクソになります。以上。



さて、一年が終わろうとしています。これまで僕が思い描いてきた「夢」を、発掘した昔のアルバムなどから抜粋してみましょう。



幼稚園「うちゅうひこうしになる。」


いいですね、夢ですね。綺麗です。この字の下手さもいいですね。

小学校のころ「プロゴルファーになる。お金持ちになる。社長になる。」

いやー現実をみてませんね。素敵すぎます。これこそ夢ですね。何も考えてないですよ。こういうものこそ夢といえましょう。


中学「何一つ不自由ない生活を送る。」


…ちょっとリアルやないか。何があってん。


さて、そう、夢についてです。


よくきくんですよー。夢を持たなければいけないとかそういうせりふを。


夢っていう言葉、どうしても、それが達成できなかったとき「夢だからしょうがない」と、逃げ口があるような気がするんですね。


なんか、前ワイドショーで見てしまってすごい2番煎じな気がしていやなんですが、夢じゃなくて目標といいたいんです。


幼稚園のとき、小学校のときの、何もリアルに考えることのできないガキが言う台詞だと思います夢って。


だからこそ綺麗に聞こえるのだと思う。


でもきれいごとだけじゃ何も達成できません。

だから、僕も夢という言葉が嫌いです。

来年はとにかく目標を達成するためにボロクソになります。


というわけでこの辺で僕の新年の挨拶に代えさせていただきます。


ではよいお年を。よい夢を。

自分を持つという事。

ね、よく言われますよね。自分を持たなあかんって。


これを言われるたびに、君それどういう意味で言ってんの?って思うんですけど。


俺は、どんだけ勉強してきたかっていうのが自分を作るものやと思う。


勉強ってあれですよ、机に向かってするだけのものじゃありませんよ。


全力で色んな本を読んで、全力で色んな人と喋って、全力で色々考えて、みたいな。


何を今更と思った人、すいません。

自分次第ということか?

「いや、それでいいと思うよ。」

という言葉。

どん底まで落ち込んでた俺はその言葉に救われた。

状況は何一つ変わってはいない。俺がやらなければならないものは依然として俺の目の前にある。

それに、奴が俺に行ったことが真であるという確証はどこにもない。

だが、「それでいい」と(ある程度俺が納得できるような説明を加えてくれた上で)言ってくれたことで、どん底だった気分の闇が9割がた消え去った。

状況はやっぱり何一つ変わっていないが、今俺がやっていることはあながち間違いではないと俺自身が思えるようになったということだけで、これほど違うのか。


思い込めることができれば、たいていの自分を磨くことに関する事はなんとかなるんだろうなと最近思う。

これをもう少し嘘っぽくすると、「信じれば、夢はかなう。」って言葉になるね。


うわっ、嘘っぽい。